剱岳の三角点

測量技術センター関西支所   山田 明

   北アルプスの剱岳は登山者にとっては憧れの山であり、その人気は槍ヶ岳、穂高岳と肩を並べ冬山ではそれらを凌ぐ厳しさを持っている。 私が初めてこの剱岳に登ったのは今から33年前の4月末、剱岳の八ッ峰六峰を長次郎谷から登った、このときは岩壁登攀が目的で山頂に は行っていない、山頂に立ったのはその3年後である。更にその2年後長次郎谷を直登する。このころはまだ新田次郎氏の小説『剱岳・点 の記』が書かれる前であり、この谷を柴崎測量官が登ったことも知らなかったしこの時には、もちろん山頂に三角点を将来設置することに なるなど想像だにしていない。

 平成15年4月、北陸地方測量部に異動となり、平成19年が柴崎測量官の剱岳測量登山からちょうど100年になることを知った。 年が明けて翌年1月29日、明治の測量官、柴崎芳太郎氏の長男、芳博氏の夫人である芳子さんから電話がかかってきた。次の週に東京で お会いすることがこの時決まった。なお、全くの偶然であるのだが、この日は柴崎芳太郎氏の祥月命日である。2月になって、つくば市に ある国土地理院で会議があり、それに出席した私は富山への帰りの挨拶を兼ねて、測地部長室で当時の小牧部長にお会いし、剱岳に三角点 を設置する話が北陸地方測量部であることをお知らせした。この時点では具体的には何も決まっておらず、場合によっては四等三角点を埋 めることも案としてはあったのだが、三等三角点にすべきというのが部長のお考えであった。この時から、「三等三角点を剱岳に!」とい うことが私の頭から離れなくなった。

 富山に帰って次の年度の作業として正式に4月からスタートできるよう準備を整え、日程も決めていく。できるだけ地元を巻き込んでの イベントにしたいということから、実行委員会を作って新年度がスタートした。剱岳に三角点を設置することを記者発表すると、このこと がテレビ、ラジオ、新聞に頻繁に登場するようになった。委員会のメンバーでもあった上市町では毎年6月1日に安全登山と遭難した人の 慰霊のための山開きが、剱岳早月尾根の登山基地、馬場島で行われる。この時、山頂に設置する予定の三角点を持ち込んで、上市町の了解 を得て作業安全のためのお祓いを受ける。赤白の測旗に包まれた台に鎮座し、赤白の花を胸に飾った三角点は集まった人と一緒に写真に収 まっていた。(写真)私たち基準点測量に携わる者にはごく普通に目にすることではあるが、三角点が全身をさらして一般の人の目に触れ るのは珍しいことである。

 7月24日、夏休みに入った最初の土曜日、立山町からの登山基地、室堂に集まった55人による、三角点の運搬が行われた。当初100 人の高校生に担がせたいとの構想は崩れてしまったが、4人の富山西高校の生徒、国土交通大学校の測量部、北陸工業専門学校、新潟工科 専門学校の生徒さん達が参加、雷鳥沢キャンプ場までの2kmを事故もなくリレーしながら63kgの三角点を運んだ。一般の人を巻き込 んだイベントであり、主催者側としては、最も緊張した2時間であった。55人には剱岳の観測終了後、それぞれの名前が運搬者として入 った「三等三角点 剱岳点の記」をお送りした。この後三角点はヘリコプターによって剱岳の山頂に運ばれた。

 標石運搬から1カ月後の8月23日、観測のため室堂から剱沢小屋に入る。総勢10人の観測体制とし、それぞれを剱岳、別山、西千人 の各三角点に配置する。
 作業初日の24日は朝から風雨激しく荒れた天候となった。私と伊藤係長とで剱岳の埋石に向かう。視界ゼロ、小屋を出たとたんに道に 迷う。一旦は諦めかけた登山だったが何とか頂上に着いて雨の中係長が作業する。石積み工法と名付けた、空間を石で埋めていく方法で三 角点は山頂の石の間に埋め込まれていった。作業が終わっても雨は止まなかったが、三角点の近くに腰を下ろしそっと三角点に触ってみる。 二転三転した剱岳の標高がこれで決まる、100年前の柴崎測量官の思いもこれで遂げられる。感無量のものがあった。測量に携わってき てよかった。としみじみ思った。
 翌朝は前日と打って変わって快晴、いよいよ3班に分かれて観測を開始する。初めて剱岳を登る3人は最後の登りで疲労の色が濃くなっ ている。3点同時観測の午前10時は刻々と近づいている。3人を残して私一人先に頂上に着く。どうにか10時の観測に間に合う。あと はただ2時間ひたすら待つだけ。予定していた別山との角観測は雲が出て観測不能。


(写真:剱岳山頂のGPSアンテナ、アンテナ左端の峰が八ツ峰六峰、アンテナと八ツ峰の間が長次郎谷)

 正午、観測終了、別山、西千人には注意して下山するよう無線連絡。剱岳ではGPSの器財を撤収し水準測量開始。三角点と一番高い岩に標 尺を立てて比高を測定。観測者は山中技官。作業終了後下山開始。疲労困憊の状態で剱沢小屋に到着。全ての作業が無事に終わる。  山を下りてから2カ月後の10月28日記者発表、剱岳の標高は2999mとなる。

 40年近く測地測量に関連した部署にいて今年の7月に退職、剱岳のことを中心にして一冊の本ができあがった。実は本の中には勘違いや 間違えがあり読者からの指摘があったりするのだが、一般の人から見ると、三角点に名前があることや、冠字のこと、測手のことなど初めて 知ったとの感想が届いたりしている。剱岳の三角点だけでなく、地図に記されている三角点マークの一つ一つに、100年以上にわたる測量 官と測手の思いが込められていることを多くの人に知って欲しいと思っている。




* 「日本経済新聞」2007年11月22日の文化欄に、同内容の記事が掲載されました。

* 「剱岳に三角点を!」 山田 明 著  (発行所:桂書房 076-434-4600)



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